1970 年、京都。京都⼤学の学⽣だった坂⽥雅⼦とベトナム帰還兵だったグレッグ・デイビスが出会う。グレッグは写真家として、雅⼦は写真エージェントに勤務(のちに経営)しながら、公私にわたるパートナーとして共に時間を過ごす。撮影の仕事のために東南アジアを訪れていたグレッグは、1985 年からベトナムにたびたび通い、枯葉剤の取材も⾏っていた。⽣前のグレッグはベトナム戦争当時のことをあまり語りたがらなかったという。グレッグの死後、その理由がベトナム戦争時の枯葉剤にあるのではと聞かされた雅子は、カメラを手にとり、ベトナムに向かった。





ドキュメンタリー映画監督
1948年、⻑野県生まれ。AFS 交換留学生として米国メイン 州の高校に学ぶ。帰国後、京都大学在学中にグレッグ・デイビスと出会う。1976年から2008 年まで写真通信社に勤務および経営。2003年、グレッグの死をきっかけに、枯葉剤についての映画製作を決意。2007年、『花はどこへいった』完成。毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞、パリ国際環境映画祭特別賞、アースビジョン審査員賞などを受賞。2011年、NHKのETV特集「枯葉剤の傷痕を見つめて~アメリカ・ベトナム次世代からの問いかけ」を制作、ギャラクシー賞ほか受賞。同年2 作目となる『沈黙の春を生きて』発表。仏・ヴァレンシエンヌ映画祭にて批評家賞、観客賞をダブル受賞したほか、文化庁映画賞・文化記録映画部門優秀賞に選出。2011年3月に起こった福島第一原発の事故後から、核や原子力についての取材を始め、2014年に『わたしの、終わらない旅』、2018年に『モルゲン、明日』を発表している。

夫の死が枯葉剤のせいかもしれないと聞き、まさに藁にもすがるような気持ちで、枯葉剤について調べ、ドキュメンタリー映画を作ろうと思い立った時、私は55歳でした。何の経験もないところから始まった映画作りでした。
今回の『失われた時の中で』は枯葉剤をテーマにした3作目になります。続編を作ろうと意図していたわけではないのですが、ベトナムを訪れるたびに出会う被害者たちの声がこの映画を作らせたのです。
グレッグは彼の死によって、私に新しい生を与えてくれたのかもしれません。いくつかの小さなドキュメンタリーを作ってわかったことは、小さな私にもできることがある。いや、組織に頼らない小さな私だからこそできることがある、ということです。
ベトナム帰還米兵の「戦争はいつまでも終わらない。だから始めてはいけないのだ」という言葉が響き続けます。戦争や、国際政治など世界の大きな出来事の前につい立ちすくんでしまいますが、諦めずに一人一人がもち堪えるところに希望はあるのだと思います。




フォトジャーナリスト
1948年、ロサンゼルス⽣まれ。ベトナム戦争激戦期の67年から70年、⽶軍兵⼠として南ベトナムに駐留。サイゴン、ダナン、ブレイク、ナチャンなどベトナム各地に送られた。70年から74年、京都在住。この時、坂⽥雅⼦と出会う。独学で写真、芸術を学び、75年からパリやニューヨークのフォト・エージェンシー「シグマ」に所属。アジア各国を撮影。写真は『ライフ』誌、『タイム』誌をはじめ、世界の主要誌に掲載された。87年から『タイム』誌契約写真家としてアジア各国を取材。98年、『タイム』誌を離れ、独⾃のドキュメンタリーフォトを⽬指す。2003年4⽉19⽇、胃の不調、⾜の腫れを訴え、⼊院。5⽉4⽇、肝臓がんにより逝去。

ベトナムを離れたあと 2 度とアメリカに住むことはなかった。そして⽶国の戦争犯罪を批判するようになった。私は世の中で何が起こっているのか、それはなぜかを知りたいと思った。私はアジアを発⾒する旅にでた。それは複雑な旅だった。私は写真家になる道を選んだ。写真を通じて戦争の前と後を記録する、その⼤切さを伝えたかった。戦争のアクションは誰にだって撮れる。本当に難しいのは戦争に⾄るまでと、その後の⼈々の⽣活を捉えることだ。その中に本当に意味のあることがあるんだ

(グレッグの⼿記より)