坂田雅子さんは素晴らしいお仕事をなさっている方として尊敬しております。
私自身ヴェトナムで見たことは胸に突き刺さっております。
ドク君が一人生き残って、病院の廊下を微笑みながら杖にすがって歩いていた姿が忘れられません。
ヴェトナムの女性たちの、苦難のなかにも笑みを絶やさずにいる佇まいは、静かな、本物の強さを感じました。
岸恵子(女優)
何度か胸がいっぱいになりました。
日常と次元の違う感動。
ファクトの持つ恐ろしい力を引き出すアートの繊細な力。
谷川俊太郎(詩人)
どんなに分断の悲劇が続いても、それを繋げてきたのは、⽣きるためのひとりひとりの必死の努⼒。
⽣きているかぎり、私たちは希望です。
加藤登紀子(歌手)
「失われた時の中で」は坂⽥監督が⼒を振り絞って制作してきた枯葉剤糾弾ドキュメンタリーの第3作である。3作品を貫くコンセプトは、ベトナム⼈の側、被害者の側に⽴ってこの⾮道を⾒つめたという点にある。それは、とりもなおさず「グレッグの無念を受け継ぐ」ことでもあった。ベトナムの被害者は今でも次々と死んでいる。そしてまた新たな⼦どもたちが苦難を背負って誕⽣する。本作は戦争の不条理をするどく衝く。まさに今⽇の課題である。
中村梧郎(フォトジャーナリスト)
坂田雅子監督はベトナムからフランスへと枯葉剤の被がいにあった人たちにカメラを向け続ける。彼女の優しさも映画から伝わってくる。18年間をかけてベトナムの枯葉剤被害を取材し続けた監督の意思にも意志にも敬意を表するばかりだ。世界中の私たちがベトナム戦争に無関係ではいられないだけに、問題を共有していかなければならない。
大石芳野(写真家)
枯葉剤という化学兵器の影響を受けたベトナムの人々の不幸を丁寧に取り上げた優れた作品であり、多くの人に見てもらって、戦争は犯罪であることを実感して欲しいと思った。枯葉剤はベトナムの多くの人生に影響している。私たちが知っているのはほんの一部である。
石川文洋(報道カメラマン)
今作の『失われた時の中で』によって坂田雅子監督は、長年追ってきた枯葉剤被害の問題を更に昇華させて、前2作『花はどこへいった』『沈黙の春を生きて』と共に一編の壮大な叙事詩に完成させた。ほんの短いコマだが時に挿入されるベトナム戦争時のフィルムや従軍体験者であった亡き夫グレッグ氏の写真や肉声が、本流である監督が取材し撮影してきた映像に分かち難く添い、監督自身が語るナレーションによってあたかも三位一体となって、戦争の不条理を強く静かに訴えかける。
終わりを予測できない戦争を目の当たりにしている今、この映画が持つ意味は大きい。多くの人の目に触れてほしいと願っている。
渡辺一枝(作家)
2022年、私達は再び侵略と虐殺を目の当たりにし、核兵器や生物・化学兵器が使用されるのではないかという不安にさらされている。第2次世界大戦から80年近く、ベトナム戦争から半世紀近くが経とうとしているが、私達はいまも戦争を止めることができない。
2011年、新聞社の特派員だった私はベトナム中部ダナンを訪ねた。アメリカとの長年の交渉を経てようやく始まった枯れ葉剤の汚染除去を取材するためだった。被害を受けた人々の回復どころか汚染源の除去開始にすら、これだけ時間がかかり、その間も被害は広がり続けた。それから10年。ベトナムの枯れ葉剤のニュースを目にすることは、ほとんどなくなっている。現在、毎日目にしているウクライナの惨状すら、あと数年すれば、日常生活で見聞きすることはほとんど無くなるだろう。
だからこそ、こういうドキュメンタリーが必要だ。決して忘れない。そこに暮らす人々の声を姿を現在と未来に残す。そのような行為を無駄だと冷笑する人もいる。蛮行はやまず、人は変わらない、と。しかし、ベトナム戦争に従軍した記者たちの報道が反戦デモを広げ、ウクライナから届く映像がロシアに対する厳しい制裁に繋がった。
「よりよく知ることによって、世界を変えることができる」。映画の中で語られるこの言葉は、理想主義に基づくものではない。事実だ。
古田大輔(ジャーナリスト/メディアコラボ代表)
戦争が終わって歳月は経過しても被害に終わりはない、それが「戦争」だということを改めて思い知らされました。20年前元気に被害者の子どもの面倒を見ていた親は今は年老いて途方に暮れています。枯れ葉剤被害者は今でも次々に亡くなっており、そして未だに障害を背負った子どもが誕生しています。アメリカ政府と枯れ葉剤を製造した企業は責任を取らず、補償は一切なし。ウクライナで戦争が始まってしまった今、万が一化学兵器が使用されたら‥。ベトナムとウクライナが重なります。
坂田雅子さんご自身による静かなナレーションは、戦争で理不尽な目にあわされた人々の声を代弁しているかのように心にしみます。
神田香織(講談師)
枯れ葉剤被害者たち、そしてそれを支える医師や家族1人ひとりの顔と声を、ゆっくりと、じっくりと伝えてくれていることに感謝したい。枯れ葉剤の使用から半世紀以上が経つが、被害は今も続いている。1人ひとりの生活は、1日も絶えることなく、ずっと続いているのだ。2022年の今日まで。
「戦争のアクションは誰にだって撮れる。本当に難しいのは戦争に至るまでとその後の人々の生活を捉えることだ」というグレッグの言葉は、戦時下にある今の私たちの胸に突き刺さる。
川崎哲(ピースボート共同代表)
戦争の残した爪痕は決して消えることはない。この残酷な現実をこれほどまでに強く突きつけた作品があっただろうか。
18歳でベトナムの地に降りたった少年兵グレッグは祖国アメリカに戻ることを拒み報道写真家となり戦争犯罪を訴え続ける。「戦争の後の人々を捉えること-そこに真実がある」道半ばで倒れた夫グレッグのこの言葉をなぞるように坂田監督はベトナム各地の枯葉剤被害者にカメラを向け半世紀の時空を越えた旅を続ける。グレッグとの二人旅だ。そこに映し出される人々の暮らしはあまりにも過酷だが、監督の優しい眼差しは微かな希望の光を見逃さない。
まず見て欲しい。目を背けないで欲しい。そして「戦争」を知って欲しい。そこからしか世界は変わらない。
橋本佳子(プロデューサー)
坂田雅子さん、ベトナム戦争は未だに終わってなんかいなかったんだよね。ベトナム戦争で起きたことを、今作の英語タイトルにあるように、Long Time Passing 時の向こうへ置き去りにしてきたことを思い知らされました。
監督一作目のタイトルでもある「花はどこへ行った」は、2014年94歳で亡くなったアメリカのフォークの重鎮ピート・シーガーが作った歌のタイトル、Where Have All The Flowers Goneでしたね。Long Time Passingはその一節。
60年代、フォークソングに飛びついた日本の若者たちは、あの日、「花はどこへ行った」を口ずさんだ。1955年にピートによって作られた1、2、3番に、のちにジョー・ヒッカーソンという若者によって4、5番が付け足され完成。1960年初頭にザ・キングストン・トリオ、ピーター・ポール&マリーにカバーされ大ヒットしたものを、僕たちは英語で歌っていたのだ。リアルに反戦歌だ。そのことに僕たちは気がついていたか。いや、ベトナム戦争の枯葉剤で起きたことを、ベトちゃんドクちゃんのニュースの表面でしかとらえていなかったことに、この作品で気づかされた。
今作で、今も理不尽な目にあっている枯葉剤の被害者たちを目の当たりにすると絶望的になるが、「絶望的な状況でも私たちには絶望しない力がある」と、坂田雅子さんは亡くなられた夫グレッグさんから学んだという。そしてこの映画のおかげで、私たちも、この映画の中に、絶望しない力を見出すことができる。ウクライナのことを考えるヒントも、この映画には隠されていると思った。
諦めずに希望を持つことは可能だと、枯葉剤の被害者たちが見せてくれる「事実」と、そこにひそむ「愛」が教えてくれる。
小室等(フォークシンガー)
私たちは日々、忘れていく。悲惨なニュースも、愛する者との別れも、立ち上がれないほどの心身の痛みも。
だからこそ、忘れない職業としてジャーナリストやドキュメンタリストが必要なのだ。どんなに辛かろうが覚えていて、繰り返し繰り返し世に出し、問い続けなければならない。私たちは「忘れていました。ごめんなさい」と言いながら、何度でも学び直せばいい。ベトちゃんドクちゃんに涙したあとの忘却の年月を自覚しつつ、坂田監督の20年に及ぶ揺るぎない視座から、人類の過ちを見つめ直し、負の財産を背負いながらも生を輝かせて2022年を生きる彼らの姿を胸いっぱいに受け止めればいいのだ。
三上智恵(沖縄在住映画監督)
枯葉剤の悲劇は過去の記憶ではない。1960年代から現在に至るまでベトナムの人々を殺し続け、家族を分断し続けている戦争の闇なのだ。それに気がついた元アメリカ兵でフォト・ジャーナリストのグレッグが遺した言葉をつなぎ、その妻である坂田雅子が撮り続けた映像は、国や企業が利益を上げるためにいかに人々を犠牲にし続けているかを物語る。犠牲者と家族たちの苦難とともに、自立する勇気と喜びを描く作者の視線は、国の安全と分断を安易に許す私たちの社会に注がれている。
山極壽一(総合地球環境学研究所 所長/人類学者)
私が30代の頃、ベトちゃんドクちゃんに会いました。そして、生まれてくることができなかったホルマリン漬けになった赤ちゃんを見て衝撃を受けました。生まれてきた私がベトナムの話をしていこうと思いました。そしていつも皆さんに、水俣とベトナムの話をしています。私たちが行ってからも、ベトナムはまだ全然終わっていません。私は水俣病としてチッソから補償されたけれどもベトナムの人たちは全然(補償を)されていない。第二世代の被害者は私と同じ。親とこどもの関係も、裁判の光景もベトナムと水俣は同じ。水俣でもこの映画を上映したい。
坂本しのぶ(胎児性水俣病患者)
ベトナムで枯葉剤が撒かれたことを、私を含む、多くの人たちが知っているだろうと思います。しかし被害を受けた人びとのその後を、私は今日まで知らずに生きてきました。少しでも想像を膨らませば、分かりそうなものを、さも終わったことのようにして、無関心に、無関係に生きてきたことを、坂田雅子さんの映画が私に突きつけました。言葉を奪われた人びとの小さな声を、坂田さんは映像によって、浮き上がらせ、私たちに知らせます。彼らから、その後ろにいる膨大な数の人びとの苦しみを想像することができます。
水俣と同じようにベトナムも、時間が経ったから、なにかの条約や契約が結ばれたからといって、被害を受けた人々の苦しみが終わるわけはなく、むしろその苦しみは深まっていくことを知りました。経世代の被害は深刻です。水俣で今なお認定を求めて声をあげたり裁判をしたりする水俣病患者たちと、ベトナムで苦しみ続ける家族たちが重なります。坂田さんの映した彼らの存在が一人でも多くの人に記憶されることを祈ります。
永野三智(一般財団法人水俣病センター相思社 理事)
戦争は、得てして国家ばかりを主語に語られがちだが、そこには必ず、残虐な兵器の開発・生産に加担した企業や関係者、それによって残酷で悲劇的な人生を強いられた無辜の人たちの存在がある。坂田雅子監督の映像は、ベトナム戦争を遠い記憶にしまい込みがちな私たちに、忘れてはならない現実を突きつける。
新聞記事や本の執筆のため、ベトナムで戦った元米兵の方々を取材したことがある。うち1人はがんを患い、今年しばらく入院していた。「枯葉剤が原因と考えられる」と言う。それでも彼は元米兵仲間らと、インドシナ3国になお残る地雷・不発弾の撤去や、子どもたちのための図書館建設を、寄付を募りながら続けている。障害や疾病、PTSDなどに苦しみながらも補償がある米退役軍人と違い、現地の子どもたちの苦難は計り知れないことを知っているからこそだ。
半世紀近く前に「終結」した戦争とはいえ、枯葉剤などを生み出したダウ・ケミカルやモンサントなどの企業、開発を託した米政府は、「因果関係はない」などと背を向けたままでいいのか。今、ロシアのウクライナ侵略を機に再び、兵器産業に投資マネーが集まっているが、そんな繰り返しでいいのか。
坂田監督の亡き夫グレッグさんが遺した言葉、"Profit over peoples(人間より利益の方が大事なのだ)"が頭の中でこだましている。
藤えりか(朝日新聞記者/『「ナパーム弾の少女」五〇年の物語』著者)
レンズを静かにじっと見つめる眼差し-。
報道写真家のグレッグ・デイビスさんが90年代に撮影した、枯葉剤被害者の子供たちの表情。あまりにも重たいこの沈黙の時間は、大きな歴史のうねりの中で、確かに存在し続けてきた家族の長く壮絶な記憶を物語っている。
夫であるグレッグさんの遺志と共に、その記憶を辿り続ける坂田雅子さんが記録する映像からは、核や化学兵器の問題に向き合う現代社会に生きる私たちに、経済的利益のため人命が蔑ろにされてきた戦争の本質を鋭く突きつけている。
「死んだ後のことは考えないようにしている」と呟きながら障害を持つ自身の子供を見つめる父親、「大切なのは正しいこととそうでないことを知ること」と語る被害者の存在-その姿から苦しみと葛藤の中でも現実と向き合い、それぞれの日常の中で小さな光を見つけようと生き続けてきた、枯葉剤被害者とその家族の強さが映像から伝わってきた。
林典子(フォトジャーナリスト)